つぎはぎな心の風景
2011-03-21


これから、ものすごくかっこわるい日記を書く。

朝起きて、原発どうなったっけ…とネットのニュースを開ける。トップ記事に原発関係はほとんど無い。外部電力が復旧して、そこから先は技術的な問題で、とりあえずはまぁ一段落?みたいな感じらしい。本当にそれで大丈夫なのか?

最悪、チェルノブイリ級の災害にはならないという記事をいくつも読む。そして半径30キロより外は「すぐに健康に影響は出ないレベル」という通達。CTスキャン1回分が単位として取り沙汰されているが、去年は2回も受けてるけど、なんでもないし。しかし、雨に濡れるのが少し不安で、家族のレインコートをかき集める。

露地物の野菜に、普段にはない汚染。買い占め騒ぎの次に、出荷規制。ルールにのっとってやっていることだから仕方ないのかもしれない。水で洗えば大丈夫とは言っても、私はもう子どもも産まないからともかく、将来母になるかもしれない子どもたちには、なるべく口にさせたくないような気もする。

原発反対、と口で言うのは簡単だ。しかし、それを行動で示すのはなんて難しいんだろう。もう、賛成・反対レベルの問題ではない。これまで通りに電気を使うならば、原発必要。電気を使わなければ、原発不要、ということなのだろう。

明日もきっと順番に停電する。こんな生活がいつまで続くのか、続けられるのか?続けられなくなった先には何が待っているのか?

わざわざ別の電気を使って廃炉を寝かしつけながら、今までの生活を続けるために、また新しいリスクを抱え込むことになるのか?

サスティナブルな代替案はないんだろうか?かつて、技術立国と呼ばれた、ニッポンにさえも?いや、技術の問題ではない、これはきっと、文化の問題だ。文明ではなく。

このエコを、エゴに結びつけるためには、何が必要なんだろう?

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今回学んだこと:頼るべきは、身につけた知恵と体力

知恵:とっさの判断が生死を分ける。

体力:遠くの店まで歩いて行き、荷物を抱えて帰ってこられるために。もし避難するときに、重いリュックを背負って子どもの安全を守れるように。

リュックの中身も考え直した。貴重品・救急手当て・防寒・水・食料・情報・光。

それから、電気が無くなった時のために、充電するためのシステムが必要。バックアップも、やっぱり、電気なんだ。そこが歯がゆいけれど。

非常事態の備えを、日常の中に組み込むこと。生活自体をシンプルにして、急な変化にも対応可能なものにすること。

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得体の知れない不安を抱えながら暮らすことには、ある意味、慣れてもいるし、脆弱でもある。

しかし結局そこから学んだことは、不安を不安のままにしておかず、行動し続けよう、ということ。例え、見当違いであっても、行動し続ける間に、自分の中の最適解に近づいていく。

不安を隠していると、思わぬ利子が付いて襲ってくる。今回直面した一連のことと、構造が重なって感じられて仕方がない。

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こんなことを考えていた自分を遠く感じられる日が、待ち遠しくもあり、正直、後ろめたくもある。
[エコなエゴ]

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